私は神経質な子供でした
(こんにちは。久しぶりの投稿です。来ていただいてありがとうございます。
本日も例に漏れず、何も考えずに記事を書きます。よろしくお願いします)
赤ちゃんの時からとにかくずっと泣いていたと
声が大きくてうるさかったと
親には言われてきました
神経質だから、きっと色んなことが不快でギャンギャン泣いてたんでしょう
母の子育て時代には「抱き癖」という言葉が流行っていたらしいです。
ずっと抱っこばかりしていると、抱っこなしではいられないわがままな子に育つよと
抱っこしてなければ泣きわめいちゃう悪い癖がつくよと
私が大人になった後、母が私に
父方の祖母が生まれたての私の事を母に渡さず、
ずっと抱っこしていたとのことで
「おばあちゃんにしっかり抱き癖つけられてね〜」なんて嫌味っぽく言っていて、
私は
おばあちゃんに私を取られて、
新生児の頃の私を思う存分抱っこできなかった可哀想なお母さん、という気持ちと、
え、抱き癖って何?
そもそも赤ちゃんて泣くものじゃないの?
抱っこした方がいいんじゃないの?
という気持ちと
両方あったことを覚えています
結局私を
抱っこしたかったのか
したくなかったのか
複雑な心境でした
私は、現代で子育てが出来て本当に良かったと心から思います
泣いたら抱っこは常です
当たり前
抱っこで育まれる
愛着形成がちゃんとなされる
私は
子供達をたっっっっっっっっっっくさん抱っこしました。
赤ちゃんだけじゃないです
子供は
泣いたらとにかく抱っこ
小さい子は抱き上げて抱っこ
大きくなって抱っこできなくなったら
優しく抱きしめてあげる
ふんわり抱っこ
お母さんに抱っこ、抱きしめてもらうことで
安心します
泣いていても
抱きしめられると心がだんだんと落ち着いてきます
子供がギャーギャー泣いていて、
イライラしてしまいそうな時も
子供を抱きしめることで親の方も
心が優しくなります
触れ合って相手の温もりを感じ、
ふんわり軽い圧を体に感じると
心は解放されます
人間も動物です
スキンシップは本当に大切なのです
私は子供達が大人になっても
抱きしめたいです
ハグ文化がある海外の風習を見習います
「抱き癖」って、、、、、、、、
そんな恐ろしい言葉を蔓延らせた時代に嫌悪します
けれど、そんな時代があったからこそ
今があるのも事実
何事も無駄にしないで
学んで次に生かしていきたいものです
母は優しい人なので、今の時代に子育てできていたら
きっとたくさん私を抱っこしてくれていたと思います
その時々の情報や噂に振り回されずに
自分がどうしたいかをいつも意識して持ってないと
あとあと後悔する羽目になるかもしれません。
はい、
ここまでは前置きです
私は子供の頃から神経質でした
色んな情報をキャッチする能力に長けていたと思います
今でいうHSPみたいな感じだというと伝わるかと思います
いつも気にしていたのは
相手の顔
表情
声のトーン
優しい人は好きだけれど
そんなにいない
家が安全
と思っていました
妹、弟たちには超強気で
「私は偉いお姉ちゃん!」でいるのに
外に出れば
弱くて肝のちっこい子
勉強も運動もできない大人しい子でした
典型的な内弁慶です
幼稚園に入ってからは友達の表情
先生の表情
小学校に入れば
一気にたくさんの情報
情報をキャッチするのが得意だったけれど
学習はとことん苦手
授業中は先生の話を聞かず
自分の頭の中の世界にいたので
しょっちゅう怒られていました
だけど、家では妹、弟を従えていました
家では自由だと思い
外は怖いと思う
自分は優しいし
強いし、
妹たちに比べてもなんでも出来るし
と思って
外では早生まれだし色々苦手だし
みんなの中で一番何にも出来ない存在のような気がしていました
近所の友達に誘われても家から出るのが嫌で、だんだん遊ばなくなりました
この人は安全か
自分のことを好きか
とにかくそればっかりだったような気がします
家が安心できる
というより
外に出るととにかく疲れるから嫌になったんだなと
今ではわかります
大人になった今でも
これは私だけじゃなく
多くの人付き合いが苦手で
外の世界に疲れてしまう人がいると思います
私は
とにかく小さい頃から
相手の顔色を伺う子供でした
大人からすると、
もちろん自分に気を許して懐いてくれたらいいですが
そうでなくとも
ニコニコしている元気な子供が可愛いですよね
私は友達のお母さんにも敬語だし
物おじしてしまう
子供らしくない可愛くない子供だったと思います
なぜ
神経質な気質に生まれてしまったのか
別にどろんことか気にならないんです
自然は大好き
そういう神経質ではなく
とにかく対人において
相手が人間の時
自分にネガティブな感情を向けられるのが怖くて怖くて
なのに家では妹のちょっとしたことに目くじらを立てて
執拗に怒っていました
そういえば
私はよく怒る子でした
神経質で他人の粗探しも得意でした
私は小さい頃から
家の中と外の世界での自分の在り方のギャップ
憧れの、絵本の物語で読むような優しい女の子像と
本当の世界の意地悪なお姉ちゃんである自分とのギャップ
を無意識に感じ
自分を日々卑下していたと思います
今考えれば
小学生の低学年の頃からそうでした
そんな気質や思いが
のちの過食嘔吐に繋がってるんだろうなと思って
思いついたまま書き出してみました
気質はその人その人が生まれながらに持っているアイデンティティで、
良い悪いは本来存在しなくて
小さい頃は
育つ環境によって結果的に決まるのかなと思います
最初から大人だったとしたら
私はこう言う人だから〜
私はこうするのが心地いいから〜
とうまく考えるのでしょう
私だったら子供の頃どんな環境に育っていれば
過食嘔吐にならなかったのかな
やっぱり親にもっと構って欲しかったかな
お金に困らない家ならよかったな
父親が奔放じゃなく
家庭的な人なら
母がもっと
あれ、
これって結局
自分以外の環境のせいにしている
そうしたかったんじゃないはずなのに
そう思っていたんだと言うことが露呈しました
私ってやっぱり
精神が幼いのかな
でも、自分を愛そう
私は私
考え方が下手くそすぎるんでしょうね
そして、
自分の考えをまとめて
出すのも苦手
なぜブログやってるのか
今一人で苦しい人たち!!
もし私のブログを読んでいたら、
こんな精神の脆い
変な人も
普通に家庭を持って生きていると知って
元気になってください
私でよければお話し聞く(読む)ことはできるので
コメントくださいな
読んでくださった方、ありがとうございます。
私は誰かに、
こんな私を
話したかったのです
誰だかわからない、
顔も名前も
何もわからない
誰かにでも
知ってもらっていると言うだけで
心が軽くなる気がします
私は
この歳になってようやく
私を表現しています
不快になられた方、すみません